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『らくだ』は、古典落語の演目。上方落語の演目の1つである。人物の出入りが多い上に、酔っ払いの芝居が入るなど演者にとって難解な話で、よく「真打の大ネタ」と称される。題名は、主人公のあだ名を表すが(上方では「らくだの卯之助」、東京では「らくだの馬」)、登場した時には既に死人であるという、他に例のない話である。 == 解説 == 本題は「駱駝の葬礼(そうれん)」。上方落語の4代目桂文吾が完成させ、大正時代に3代目柳家小さんが東京へ移植した。当時、小さんが本郷の若竹亭という寄席でよくかけていたため(3代目桂米朝は日本橋茅場町の宮松亭であっただろうと述べている〔 p.206〕)、「若竹(宮松)へ行けばらくだの尾まで聞け」という、川柳ができるほど流行した。 「ラクダ」というあだ名については、1821年(文政4年)、両国に見世物としてラクダがやってきたことに由来する。砂漠でその本領を発揮するラクダだが、それを知らない江戸っ子達は、その大きな図体を見て「何の役に立つんだ?」と思ったらしい。そこで、図体の大きな人や、のそのそした奴をラクダになぞらえて表現したことが下敷きになっている。 東京では5代目古今亭志ん生、8代目三笑亭可楽、6代目三遊亭圓生、上方では戦中、戦後は4代目桂文團治、4代目桂米團治、6代目笑福亭松鶴が得意としたが、その中でも、6代目松鶴の「らくだ」は特に評価が高い。3代目古今亭志ん朝は、若き日に、7代目立川談志とともに来阪した際に、松鶴の『らくだ』を見て、そのあまりの完成度の高さに、しばらく二人とも口がきけなかったと述懐している。3代目桂米朝も「らくだ」を演じているが、松鶴存命中はあえて演じなかった。 松鶴自身『らくだ』を物にするにはかなりの苦労があった。若い頃演じた時は、始め勢いがあったのが終わり近くの葬礼あたりで目に見えて力が落ち散々な出来となり、居合わせたお囃(はや)しの林家とみらは声も掛けられなかった。そんな研鑽(けんさん)を経て、1969年(昭和44年)12月17日大阪大淀ABCホールでの「第38回上方落語をきく会」と1973年(昭和48年)6月12日、大阪難波高島屋ホールでの「第50回上方落語を聞く会」で演じた『らくだ』は松鶴にとって双璧(そうへき)といえる出来であった。特に後者はライバルの桂米朝との二人会という事情もあり、力のこもったものであった。 近年では笑福亭鶴瓶の口演が話題であるが、これは松鶴の弟子なら「らくだ」は避けては通れないとの周囲の声に押されたものである。その他にも3代目桂雀三郎の口演が有名。古いところでは、初代桂春團治の録音がSPレコードで残っている。 終盤に登場する火屋(火葬場)の所在地は、江戸では落合、上方では千日前となっている。 歌舞伎化(岡鬼太郎脚色『眠駱駝物語』)され、初代中村吉右衛門の久六は当たり役となった。さらに榎本健一によって喜劇化(『らくだの馬さん』)されている。榎本の久六と中村是好の馬の配役で人気を集めた。また2009年には主演、大滝秀治、演出、山下悟で舞台化されている(劇団民藝)。 TVドラマ『大岡越前』において、「らくだが死んだ」(第8部17話)として脚色されている。また富岡多恵子の短篇小説「動物の葬禮(そうれん)」は「らくだ」を下敷きにしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「らくだ (落語)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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